予め決められた未来へ

旅行をしようと思っている。

「いや勝手に行けよ」と思われるかもしれないが、そしてそう思うのは至極もっともなことなのだが、僕にとっては大事なことなので、あえいて言いたい。

旅行をしようと思う、と。

なぜなら、旅など久しぶりなのである。
特に海外となると、超久しぶりなのだ。

どのくらい久しぶりかは触れない。どれくらいが「久しぶり」となるかは人によるからだ。
例えば、今回の目論見の根回しのためにクライアントの1人に言ったら「それは久しぶりとは言わねーよ」と返された。
でも僕個人にとっては、超久しぶりと言わざる得ない程超久しぶりなのだ。

僕は、どちらかといえば引きこもるほうが好きで、誰とも接触せず、変化のない一人の世界でじっとしていたい人間だ。しかもできうることなら能動的なことは何一つしたくない極度のめんだくさがりだ。

それなのに、なぜだか旅行だけは猛烈にしたがる。遠くへ行きたい、こことは全然違うところに行きたい、見ていないものを見たい……その欲求だけはふつふつと湧きあがり、超重量級の腰を持ちあげるのだ。

しかし、ここしばらく旅行とは縁がなかった。
ありていに言えば時間がなかったのとお金がなかったためだ。主にお金がなかったことのほうが原因だったが。

それが、このたびようやく条件が揃い、旅行へ行けるチャンスを得た。
浮かれようものだ。イエーイ。
旅行をしようと思う、とわざわざ言いたくなろうものだ。イエーイ。

それでまあ、目下いろいろ準備をしている真っ最中なのである。

しかし。
そんな旅行の準備をしている中で、今回どころか毎度、テンションがガタ落ちする段階というものがある。
それはもう、行くのをやめたくなるほどに、旅行熱がマイナスになる段階が。

準備の中でもたとえば、海外なら行く国を決め、とにかく行きたい場所を無造作にピックアップしていくのは非常に楽しい。それを線で結び、ざっくりとルート化していく作業もワクワクする。
しかし、それを現実的な日程に落とし込んでいく段階になると、とたんに辛くなる。

理想通りにはいかないからだ。
物理的な距離、活動可能な時間、交通機関のスケジュール、費用……ありとあらゆる「現実」が全力で希望を阻む。

スケジュールが実現可能な形を取り始めた時には、すでに多くの行きたかった場所、したかったことが取りこぼされている。それは最初に自分が望んでいた「旅行」から、大きく変わり果てた姿と言っても過言ではない。

何度も行けるのならば、次の機会に、という気にもなるが、旅行自体の回数が限られるのに、同じ国へ行く機会などそうそうあるわけではない。
このスケジューリング作業は、一度の機会でできる限りのことをこなしたい貧乏性のぼくにはとても辛い判断を迫られる苦行なのだ。

だいたい、スケジュールを決める時点での自分の行きたいところと、旅行実行時の自分の行きたいところが同じとは限らない。というか絶対気分変わってる。それなのに今の時点の気持ちを基準に決めるなど愚の骨頂だ。過去の自分のために旅行しているみたいじゃないか!


そしてもう一つ、この後もにやりたくない作業が待っている。
「予約」だ。

僕は旅行に限らず、この「予約」という行為が大嫌いだ。
映画でも、イベントでも、飲み会でも。

だって、先のことなんてどうなるかわからないではないか。
仕事が入るかもしれない。アクシデントがあるかもしれない。そもそも、その時までに行きたくなくなったらどうするというのだろう。同じ時にもっと行きたいところができたらどうするというんだ!

現時点から、その未来までには、本来無限の選択肢と可能性がある。
予約とは、その無限の可能性のほとんどを予め潰し、たった一つの未来だけを先に決めてしまう行為だ。
その消えていく可能性を思うと、貧乏性で優柔不断な僕は予約のボタンがなかなか押せない。

そして、鉄の意志で予約してしまった瞬間、「やりたいこと」は「義務」に変わる。何があっても守らなければならない約束になってしまう。
これは気の弱い僕にとっては非常なプレッシャーを生む。電車に乗り遅れたら、博物館の開館に間に合わなかったら、次の街に行けなかったら……一つずれたらすべてずれる。予約がドミノ倒しのように破たんする。そう考えると僕はたまらなくなる。緊張の中で、時間に追われて旅行している気分になる。
僕のための旅行ではなく、決めあられたスケジュールをこなすための旅行になってしまうのだ。
ちょっとメンタル繊細すぎる気もしないでもないが、実際そうなのだから仕方がない。

ちなみに「キャンセル」という行為はもっと嫌いだ。あれはお金だけでなく、心もすり減る。ガラスのメンタルには耐えられない。

だから、僕は普段なるべく予約をしない。宿は当日飛び込むし、切符も現地で買う。そしてその時の気分に合わせてスケジュールを変えていくのが理想だ。
決まっていることへのプレッシャーや決められたことをこなせない不安に比べたら、宿や切符が決まってないことへの不安の方が、はるかにましだ。

そもそもめんどくさい。……結局これが一番なのだが。

だが、そうは言ってられない場合が往々にしてある。
ハイシーズンで当日に宿や交通機関が確保できない可能性が高い場合。そしてスケジュールを変更する余裕がない場合だ。
ぎゅうぎゅうなスケジュールの場合、そもそも予定を崩せない。結局何があってもこなさなければならないならば、予約をせざる得ないのだ。

今回もそうなってしまった。
現地で未知の面白い場所を発見したり、泊まりたい場所を見つけたりする可能性を考えると血の涙が出てくるし、序盤にアクシデントが起こったらすべてパーになると想像すると震えるのだが、いくつもの予約ボタンを押している。辛い。

なぜこんな辛い試練を乗り越えなければならないのか。

わかっている。
これらのテンションだだ下がり行為をしなければならない原因は、結局ひとつだ。

終わりが決まっているからである。

帰るべき日が決まっているからこそ、きっちりそこまでのスケジュールを決めなければならないわけで、そのスケジュールを守るために予約しなければならないのだ。

逆に帰る日さえ決まってなければ、現地に行ってから行くべき場所を決めればいいし、アクシデントがあってもどんと構えてられるし、その時の気分と望みのままに行動できる。

なぜそんな気楽な旅がかなわないのか……もちろん仕事があるからだ。

仕事のちょうどいい切れ目を見つけたから久々に旅行に行けるわけだから、それはつまり、切れ目の終わりには旅行も終わらせなければならないのである。

なんということだろう。
仕事から解放されての旅行のはずなのに、仕事の呪縛から逃れきれていない。

そもそも行くにあたっても、方々の関係者に根回しをして、調整をしているのである。
それらの関係者には気を利かせてお土産も買わなければなるまい。自分の時間を割いて。

それらのことを考えると、何かこう、仕事のために旅行をしている気になってくる。
いや、これはもはや仕事なのではないか。

だからこの旅費、経費にならないかなあ。

ぼんやりとそう愚痴りながら、予約のボタンを押すのである。